蜜瓜特典
#1 - 2024-10-2 14:02
仓猫
第1.7話 Clear - 翼はなくとも
「少し褪せてきたな」
今日も今日とてアィに抱かれているうさぎのぬいぐるみ·ディアが呟きました。
「なにが?」
「このボディペイントだよ」
「ああ、そうだね。ひかりさんもすぐに消えちゃうって言ってたし」
頷くアイの腕には、少し前にひかりという名の女子大生に描いてもらった翼の紋様が一つ。
二人が歩いているこの桜並木はその頃、ピンクの輝きでいっぱいだったというのに、今は緑の絨毯で覆われています。葉桜です。
世界は時間という絵筆により、次々にその色を変えていって。
同様に、季節もまた移ろってゆくのでしょう。
くんと鳴らした鼻先には、ほら。
もうかすかに夏の匂い。
「翼が恋しくなったんじゃないのか? 君たち天使は、あの真っ白な翼で空を自由に飛び回ることを誇りに思っているんだろう?」
「まあね」
指を伸ばし、アイは消えかかっている翼の絵に触れました。
翼の手触りはなく、皮膚の柔らかな弹力が感じられるだけでしたが。
「早く本物の翼が戻るといいな」
「ど、どうしたの?」
アイが驚きのあまり尋ねると、素直じゃない相棒は「なにがだよ」と首を傾げました。
「ディアが、ストレー卜にあたしに優しいなんて変」
「この旅が終われば、君から解放されるからな。僕の都合だ」
どうしてでしょう。
なんてことない言葉のはずなのに、アイはさっきよりもっとずっと強くディアを抱きしめてしまいます。
その様子はまるで、『いかないで』と馱々をこねて愛する人を引き留める幼子のよう。
「……こんなこと言うと、またディアに『馬鹿だ』とか『変わり者天使』なんてからかわれるかもだけど」
「言ってみろ」
「翼は取り戾したい」
「ああ]
「もう一度、あの翼で空を泳きたい。あたしは飛ぶことが大好きだったから。それは本音」
だけど、と言葉を切り、アイは一度だけ春と夏の季節が混ざった空気を肺いっぱいに取り込みました。
それは、翼のあった頃には決してできないことでした。
翼を失い、体という器を手にしたからこそ叶った奇跡。
「だけど、なんだよ」
ディアが、続きを促します。
「だけどね、こうして二本の足でディアと一緒に地上を歩いていくのも、同じくらい楽しいよ」
アイはアスファルトに落ちていた丸い光ヘ、ぴょんと華麗にジャンプ。
「そうか」
「うん」
「馬鹿だな。やつばり君は変わり者だよ」
「なんでぇ。今のあたし、め~っちやいい感じのことを言ったのにいいい」
「からかってほしいって君が賴んできたじゃないか」
「賴んでないっ!!」
「あれ? 違うのか」
「絕対、わざとでしょ」
「さあ、どうだろうな」
「むう。やっばりディアってば意地悪さんだ」
ぷーぶーと頬を膨らます天使が一人。
彼女の胸の上で、楽しげにしている悪魔が一人。
二人は今日も、昨日までと同じように旅を続けてゆきます。
二つの翼を失い空を飛べなくなっても、二本の足で大地を踏みしめることはできるのです。
だから翼はなくとも、実はなにも問題なんてないのかもしれません。
Clear - fin.
「少し褪せてきたな」
今日も今日とてアィに抱かれているうさぎのぬいぐるみ·ディアが呟きました。
「なにが?」
「このボディペイントだよ」
「ああ、そうだね。ひかりさんもすぐに消えちゃうって言ってたし」
頷くアイの腕には、少し前にひかりという名の女子大生に描いてもらった翼の紋様が一つ。
二人が歩いているこの桜並木はその頃、ピンクの輝きでいっぱいだったというのに、今は緑の絨毯で覆われています。葉桜です。
世界は時間という絵筆により、次々にその色を変えていって。
同様に、季節もまた移ろってゆくのでしょう。
くんと鳴らした鼻先には、ほら。
もうかすかに夏の匂い。
「翼が恋しくなったんじゃないのか? 君たち天使は、あの真っ白な翼で空を自由に飛び回ることを誇りに思っているんだろう?」
「まあね」
指を伸ばし、アイは消えかかっている翼の絵に触れました。
翼の手触りはなく、皮膚の柔らかな弹力が感じられるだけでしたが。
「早く本物の翼が戻るといいな」
「ど、どうしたの?」
アイが驚きのあまり尋ねると、素直じゃない相棒は「なにがだよ」と首を傾げました。
「ディアが、ストレー卜にあたしに優しいなんて変」
「この旅が終われば、君から解放されるからな。僕の都合だ」
どうしてでしょう。
なんてことない言葉のはずなのに、アイはさっきよりもっとずっと強くディアを抱きしめてしまいます。
その様子はまるで、『いかないで』と馱々をこねて愛する人を引き留める幼子のよう。
「……こんなこと言うと、またディアに『馬鹿だ』とか『変わり者天使』なんてからかわれるかもだけど」
「言ってみろ」
「翼は取り戾したい」
「ああ]
「もう一度、あの翼で空を泳きたい。あたしは飛ぶことが大好きだったから。それは本音」
だけど、と言葉を切り、アイは一度だけ春と夏の季節が混ざった空気を肺いっぱいに取り込みました。
それは、翼のあった頃には決してできないことでした。
翼を失い、体という器を手にしたからこそ叶った奇跡。
「だけど、なんだよ」
ディアが、続きを促します。
「だけどね、こうして二本の足でディアと一緒に地上を歩いていくのも、同じくらい楽しいよ」
アイはアスファルトに落ちていた丸い光ヘ、ぴょんと華麗にジャンプ。
「そうか」
「うん」
「馬鹿だな。やつばり君は変わり者だよ」
「なんでぇ。今のあたし、め~っちやいい感じのことを言ったのにいいい」
「からかってほしいって君が賴んできたじゃないか」
「賴んでないっ!!」
「あれ? 違うのか」
「絕対、わざとでしょ」
「さあ、どうだろうな」
「むう。やっばりディアってば意地悪さんだ」
ぷーぶーと頬を膨らます天使が一人。
彼女の胸の上で、楽しげにしている悪魔が一人。
二人は今日も、昨日までと同じように旅を続けてゆきます。
二つの翼を失い空を飛べなくなっても、二本の足で大地を踏みしめることはできるのです。
だから翼はなくとも、実はなにも問題なんてないのかもしれません。
Clear - fin.